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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/19 (Fri) 20:58:27

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No.577
2012/08/20 (Mon) 03:10:29

 週に3〜5日は通る浅草・吾妻橋の袂はスカイツリーのオープン以来、朝も昼も晩も写真を撮ろうとする人で舗道が塞がりそうになる時もある。

 橋を渡って業平橋を渡り、スカイツリーの根元に近づけば更にエキサイトして、年寄り夫婦が今にも倒れ込みそうな姿勢で強引にパートナーをスカイツリーの構図に収めようと必死な場面を見ることもある。
 意地悪く云えば「そこまで必死になったってスカイツリーと写真撮っても永生できるんですか?」と訊きたくなってしまう。
 ガードレールに仰け反るようにもたれ、デジカメを構える様はむしろ滑稽ですら思えるほどだ。ご本人は必死なんだろうが。

             

 思えば東武浅草駅は可哀相な建物だ。

 業平から浅草に向かってくる東武電車とスカイツリーを同時に収める画像を撮れるスポットは三目通りにかかる源森橋だ。が、隅田川の鉄橋を渡るあの風情ある瞬間を含め、なぜああまで壊れてしまったかのようにゆっくりと走るのだろう・・・以前から素朴な疑問だった。

 昭和の初期や大正の旧い絵葉書を見ると竣工当時の威容をイメージすることができる。もともと駅舎として建てられたビルはオフィスビル使用が決まっていた。しかし集客、立地を熟考した結果、デパートビル(松屋百貨店)に使われる様になったのは意外と知られていない。
 2階部分に東武電車の乗降ホームを持ってきたのはよかったが、そもそもが2両位の電車の長さに合わせて作ったものだからホーム長が足らず、現在でも6両編成までしか収容できない。隅田川を渡りサーキットのシケインのごとくうねうねと大小の弧をつくり曳舟へ向かうルートの苦肉の策である。
 まともに橋を渡れば雷門か新仲見世あたりを潰さなくてはならないし、今の車両編成で言えば国際通りの先にまでプラットホームを延伸させなければいけない。地図を見ればその辺はなんとなく解る。

             

 浅草寺周辺は震災時や空襲時には無残に焼け野原となったが、この東武浅草駅と寺社を真似た様な地下鉄の入口だけは残ったのだった。これは果たして何かの偶然だろうか?
 ただ、地下を走る地下鉄は広い幹線道の地下を掘ればホームや駅の巨大化など普通にできただろうが、浅草駅の場合、6両から10両編成以上の電車を発着させるなど構造上からして不可能である。もし仮にそう出来たとするなら現在の浅草の風景・・・仲見世や新仲見世などは今とはかなり景色が異なっているはずだ。
 今より緩い弧を描くようにホームを延伸するなら浅草寺ギリギリのラインで伝法院からロック座、いや国際通り辺りまで伸びていたことだろう。だが、結局その先には上野が控えており、既に東洋初の地下鉄銀座線は出来上がりつつあった。

 そう考えると平成の東武線浅草駅と云うのは、恰も雪隠詰めに遭うように取り残されたと断じていいのかもしれない。小生が見慣れた浅草駅は「東武電車」とあったが、これは「阪神電車」の如く大阪へ倣ったのだと思われる。
 
 中学や高校の頃に慣れ親しんだ東武伊勢崎線というのが変更されて、今では東武スカイツリー線というらしい。「けごん」や「きぬ」と云ったJR(当時は国鉄)にも劣らなかったベージュとワインのツートンは消え、「スペーシア」と名を変えスカイツリーの電飾に合わせた蒼と紫になっている。更には水上バス乗り場も新装され、川沿いに設けた公園から眺める波間とその電飾を映し出すスカイツリーを追い求める、オトナたちの隠れた穴場スポットだという話だ。

 成る程、周辺の浅草橋や蔵前、厩橋辺りも(多いのは当然だが)晴海や小岩、品川だとか遠距離からの屋形舟も目立つ。
 東武浅草鉄橋と言問橋の間には色とりどりの電飾や行燈で光を放つ屋形船や水上バスが処狭しと渋滞し、よくぶつからないものだと感心してしまう。
 水上バス乗り場に隣接する川岸のテラスには石のベンチが置かれ、行きかう船のネオンと見上げたスカイツリーと漆黒と波間に反射するコントラストがまるで万華鏡のようにみえ、それらをして波間から癒してくれるのが頬を撫でる夜風とともに心地よい。

 テラスを川沿いに歩けばベンチの並ぶ先に水上植栽がありガマの穂も生えている。水辺を見下ろすと川魚やカニやエビまでもごそごそとコンクリートと石の護岸で忙しそうに歩きまわっている。
 下町のこんな川の畔に、水棲の生き物がいるなんてついぞ感動すら覚えてしまう。

 この隅田川には東京大空襲で多くの犠牲者が溢れ川面も見えないほどの死者が浮かんでいたともいわれる。
 余談だが、かのチャールズ・ブロンソンもB−29の後部席からこの空襲に参加したんだとか。丹頂チックはマンダムの「男の世界」で倒産寸前に甦り「ウーン、マンダム・・」とフレーズを顎を撫でながら呟くあの姿は幼い子にも流行ったものだったが、よくよく鑑みれば『レッド・サン』を含めたブロンソンの親日家たる真情は、実は何処かに空襲に参加したという呵責の気持ちもあったのかもしれない。

 スカイツリーを撮影しに来た、昨今のデジカメと三脚を携える老若男女はそんなことは知らぬだろう。近郊から出てきた中年のカップルからこんな会話も聞こえてくる。
 「・・・東武電車もスカイツリーを見せる為にゆっくりと走っていくよ、のどかでいいね・・・」
 さすがにこれはいい歳をして誤った認識なので注釈をしてあげた。
 「余計な御世話ですが、この鉄橋を浅草側に渡ればほぼ直角に近いカーブなんですよ。2両〜4両くらいの編成をもとに設計された浅草駅のホームでは6両迄が編成の限度だしカーブのRもきついから最徐行でないと曲がりきれないんです。スカイツリーの為にゆっくり・・・ではないんですよ」と。

 そうせねばならぬ理由があるから、そうしているのだという必然性・・・時にこの国の社会科は何を教えているのだろうと云う懸念も生まれてくる。

             
         浅草駅のホームから発着をする東武線車両

             
         昭和40年代の前半だろうか?懐かしのツートーン

             
             
 学研だのブリタニカだの、昔はそれなりの家に行くと何十冊セットの百科事典が必ず置いてあったものだ。重いし箱から出してまたしまわなければならないので実家に居た小学生の時分はさほど見ることもなかったが・・・。今ではウィキペディアもあるし、関連した項目にもすぐにネットで飛んで行ける。

 だが、パソコンもスマホも携帯もプレステもあるのになぜ、知識も探究心も低いのだろうと疑問に思う。その場所に行けば大体「昔其処に何があったか」など、都や各行政の手によって事細かに解説された史跡の由来が立て札になっていたりするものだ。足で探してたどり着き思いをはせる喜びや感動を理解共有できるのはむしろ海外からの人たちの方が多い。
 オリンピックの始まる頃になぜか毎週、多くの気さくな英国人と話を出来ることにコミュニケーションのありがたさを感じてしまう。

 「こんな鉄骨とコンクリートのタワーが何処に魅力を感じるんだい?」
 「大した技術よ、日本人ならではの精緻な建築物だわ・・」
 「グレート・ブリテンこそ凄いね、ビートルズもストーンズもクイーンもおよそクラシカル・ロックの旗手は皆英国出身だ。素晴らしい才能のDNAを持った人たちが多いんだろうね。オリンピックの開会式じゃポールがHey JUdeを唄うって聞いたぜ。アビイロードに行ってみたいな」
 「お時間取れたらいつでもどうぞ」
 そんな束の間の会話を30分ほどした。
 彼女、レスリーは金融関係にお勤めのブロンドだった。

 伝法院通りから浅草駅へ向かう辺りの両側は、最近になって江戸情緒豊かな軒並みに作り変えられた。統一感があって、外人がカメラを構えてもそれなりに江戸情緒を残せるようになっている。眼と鼻の先にある上野アメ横とはまた風情が違う。

 言問橋や吾妻橋、厩橋、言問橋・・・夏は多くの人が花火を観に訪れる。戦火の焼け焦げはそれぞれの橋柱を観ればなんとなくわかる。
 幾多の人が此処にたち、此処を通り過ぎたことかと思えば花火もまた然り。
 束の間に光る一瞬の光臨・・・。
 進歩発展の名のもとに、忘れっぽさも踏襲するがそれを今更嘆く気も萎えてしまった。知りたい、話を聴かしてくれと言う人にはまた語る機会もあるだろう。

 初詣の帰りに寄った「まるい書店」という古書の店のシャッターは今も閉じられたままだ。

 通勤のMTBで信号待ちをしていたら街路樹の木陰で涼を取るサラリーマン男性から声をかけられる。
 「ああ、暑いけどこの周辺はまだマシだね、港区や虎ノ門辺りに行ったら高い建物のせいでもっと暑いもの・・・ここいらは風が吹くから大分いい・・・」
 汗をタオルハンカチでぬぐいながら横断歩道を渡る男性にそれとなくMTBから応答する。
 「この辺は隅田川の川風が来るから霞が関や赤坂、虎ノ門辺りに比べたら涼しいんですよ。水上バスで東京湾から眺めれば分かるけど、新橋あたりに建った超高層ビルが海風を遮断して風の抜け道を塞いでるから暑いんですよ、僕も仕事柄あの辺りにはよく行きますから知ってます、どうぞお気をつけて・・・」
 「そうなんですか、ありがとう」
 などと会話を済ませた辺りは蔵前に近い。

             
         厩橋から見た東武浅草ビル

 仲見世は小屋掛けと言い、参道の掃除や世話をする代わりに其処で商いをすること、住むことを許されたのが始まりとものの本で読んだことがある。
 紅く塗られた雷門をくぐると独特の江戸の時代感を伴った空間はコンパクトであるが故に年始参りでは混雑を招く。普段からでも結構な雑踏だが、場面を切り取れば明治や昭和の空気も混然となり時空を超えた何かを感じさせるのも事実だ。
 この絵葉書が描かれたのは明治の頃らしいが、同じような景色には新しく出来た観光センターの上から見下ろすことができる。

               

 今のビューホテルと花やしきの真ん中辺りに位置した凌雲閣は京阪ホテルのウインドの絵や江戸東京博物館でしか知ることができない。むしろ、仁丹塔の方がなじみが深い。
 20代の頃、日本橋の問屋街に通勤や営業での通り道、国際通りを通りながら「なぜ、こんなに古めかしいものが此処に建っているんだろう?」と首をかしげたものだったが、ビールやサイダーなどの製造メーカーも当時は高い塔を建てていたのが往時の絵葉書で偲ばれる。

 珍しく三日程盆休みが取れたので、関西から来た友人の息子といくばくかの時間を浅草で過ごした。昼の吾妻橋と夜の吾妻橋、宿から出てきて奥山の賛同を抜け、浅草寺の境内から二天門までグリコをやって遊んだり、水上テラスの植栽にいるカニを眺めスカイツリーを見上げ、最徐行して鉄橋を渡る東武電車を見つめ・・・MTBや徒歩で見つめる光景もいいのだが、彼と過ごした数時間の浅草はいつになく楽しく「オッチャン、何やあれ?」と健気に訊いてくるその問いに答えながらもこの街も捨てたものでもないし、昔父母や幼い妹、弟と訪れたその路地を通る時変わらぬものも発見できたりする。
 暑い炎天下を歩きとおし、がぶがぶとアクエリアスを旨そうに飲むその顎は逞しくまた頼もしかったし、自身がミリンダやファンタを飲んでいた夏を思い出したりもした。

 大横川親水公園の傍らでギャラリーを構えるある篤志の方に話を聞く時間が最近あった。「松屋浅草もね・・・松屋さんはあんな古いビルからは撤退したいはずだけど、そうもいかないんだってね・・・」なるほどと思い、古い画像や絵葉書を眺めてみると天井は低いし昔から百貨店といっても和装の布地が商品構成の大半だったようで、まるで倉庫に棚屋ワゴンを入れた店が並ぶような印象も受ける。
 現在は3階までは上がれるがそれ以上は改装中とか・・・。
 冒頭、書いたようにこの駅も建物も可哀想なビルである。が、再開発の名のもとに郷愁すら奪い温故知新などまるで感じさせないそのスクラップ&ビルドは誠に悲しい。六区にある映画館もやがては取り壊されるのだと聞いた。

 関西から来たその小さな友人に、街の変遷を説いてやる機会はまた訪れるだろうか?どうせ、ろくな社会科の授業など期待できないならせめて知る限りの浅草を彼に伝えてやりたいと思う。

 空っぽ、見てくれ、上っ面が尊ばれる世にあっても変わりたくても変われない・・・いや、変わらない街もある。

 人生の意味は変化だと、かのジョージ・ハリスンは言ったそうだが変わらないのもひとつの意味なのかもしれない。小さな友人にまた会えるときが来たら、気長にそれを話してやりたい。

 変わることより失わぬことが大事なこともあるのだと。

 この日記を書き始めたのは6月の中頃だったはずだが、私情や都合、そしてこの酷暑に萎えてしまい思わず時間を食ってしまった。というより、かつてのようなスピードで進めなくなったのかもしれない。

 が、これはある意味の変化ととりたい、老いや衰えといえば参るだけだから・・・。



 (c)2012 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

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