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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/27 (Sat) 12:15:43

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No.620
2012/12/30 (Sun) 19:20:28

「ロビン、ロビンや。今日はクラシックのコンサートに行くぞ。お前は音楽が大好きだから、きっと楽しい一日になることだろうて」
 盲人の小早川さんはそう言って盲導犬の頭をいとおしそうになで、犬に手を引かれて玄関を出ていった。小早川さんは七十歳くらいだろうか、近所の人が挨拶すると短く刈ったごま塩頭をふりふり、にこやかに返事した。
「ああ、これは山口さん。今日もいいお天気ですな」
 小早川氏は新調した真っ白な浴衣が、道行く人にどう見えているのか想像して楽しんだ。この姿は粋なご隠居さん、というところだろうか。
「そうか、昼飯がまだだったな。今日は寿司屋に行こうな、ロビン」
 賢いロビンはそう聞くと、主人の行きつけの寿司屋へと小早川さんを導いた。
「こんにちは、大将。今日はトロの旨いところを頼むよ。それからロビンにも、何か見つくろっておくれ」
「へい。ロビンは偉いなぁ、毎日ご主人様の手足になって働いてるんだ。今日は珍しいものがへえったから特別にご馳走しよう。何だと思う? 狼の肉だ。おじさんの親戚の猟師がけさ届けてくれた、とれたての狼の生肉だよ」
「板さん、あまりロビンの食いつけないものはよしておくれよ。ロビン、うまいか? おお、がつがつ食ってるねぇ。こんな凄い勢いで食べることはふだん無いんだが。そんなに急いで食うと喉につっかえるぞ。ロビン、聞いてるか」
 ロビンはボールの中の狼の肉、約一キログラムをあっという間に平らげてしまった。そしていつになく殺気だった声で吠え、おかわりをねだった。口から大量のよだれをしたたらせている。
「ロビン、悪いが狼の肉はそれっきりだ。勘弁してくんな。そのかわり大トロの一番いいところをやろう」
 しかしロビンは不満げにうなった。目が血走っている。
「ロビンは狼が食いたいんだとよ」小早川さんは困ったように言った。
「ロビン、いつもは分別があるお前じゃないか、今日はどうしたっていうんだい。ほら、大トロだよ」
 しかしロビンは板前が差し出したトロには目もくれず、今度は相手の手首に噛み付いた。
「いてえ! 放してくれ、ロビン!」
 ふだんは温厚なこの盲導犬は、いまや何かがとり憑いたかのように危険な猛獣と化していた。
「いてえ、いてえ、いてててて!」
「これ、ロビン! よしなさい!」と小早川氏。
 板前はとうとう手首を食いちぎられ、ショックで気絶してしまった。倒れた板さんの手首から流れ出た大量の血が寿司屋の床にみるみる広がっていく。
 しかし小早川さんは板前の声が聞こえなくなったから、てっきりロビンが噛み付くのをやめて大人しくなったのだろうと思った。
「板さん、お代はここに置いとくよ。いやロビン、今日はびっくりしたぞ。お前も食いつけないものを食ったからたまげたんだろ。安心しろ、もう怖いことはないぞ」
 ロビンと小早川氏は寿司屋をあとにしたが、しかしこの犬はまだ板前の右手首を口にくわえたままで、それに目を止めた通行人は一様にぎょっとして後ずさった。誰かが通報したのだろう、警官が現れ、小早川氏を呼び止めた。
「もしもし、その犬をちょっと見せてもらえませんか?」
「は、どなた? 私はご覧の通りの盲人でしてな。はあ、警察のかたですか。何のご用で? ロビンが人間の手のようなものをくわえている? そんな馬鹿な……」
 ロビンは不審の目を向ける警官を敵と判断したのか、再び猛獣のようなうなり声を上げ始めた。
「これロビン、しずまりなさい」
 ロビンは警官に飛びかかり、その頚動脈に食らいついた。警官の耳の下から大量の鮮血が噴出し、それはあっという間に小早川氏の右半身を赤く染めた。
「おや、いきなり横なぐりのにわか雨が降ってきたようだねぇ。ロビン、ロビンや。どこかで雨宿りしよう」
 しかしロビンは今度は警官のはらわたを食うのに夢中で、小早川氏の言うことを聞かない。
「こらロビン! 今日はいったいどうしたって言うんだ。私の言うことが聞けないのか。ぐずぐずしてるとコンサートに遅れてしまうぞ」
 小早川氏は無理やりロビンを引きずってその場から離れた。警官の腹部からロビンが食いついた腸がずるずると引っ張り出され、右往左往する小早川氏の身体に小腸や大腸がからみついた。やっとのことで正気を三分の一ぐらいは取り戻したロビンは、小早川氏をコンサート会場に導いていった。
 コンサート・ホールの受付の男女は、小早川氏の姿を見て驚愕した。血みどろの浴衣を着て、しかも臓物らしきものまで肩からぶら下げている。受付の男はすぐに警備員を呼んだ。かけつけた警備員はあわてて
「お客様、そのお召し物では、ちょっと会場に入っていただくことはできませんので」
「なんだ、コンサートに浴衣で来てはいけないと言うのか? そりゃ犬を連れているから、犬の毛やノミが服について汚れることはあるさ。しかしこれは盲導犬なんだよ。私は盲人なんだよ」
 そういって小早川氏は障害者手帳を見せつけた。
「あなたがたは障害者には音楽を楽しむ権利はないっていうのかい? そういう了見なのかい?」
 そう迫られると警備員も受付の者も返す言葉がなく、しばし身を固まらせていた。
「この上なお通せんぼをするというなら、責任者を呼んで来い! 責任者は誰だ!」
 この騒動ですでに黒山の人だかりができ、小早川氏の姿を間近に見ていない野次馬からは「障害者を差別するのか!」などという声も上がり、けっきょく小早川氏とロビンは会場に入ることができた。
 席まで案内された小早川氏は満足げだった。
「やはりホールの空気は格別だね。上品な香りがする。ロビン、今日はモーツァルトのジュピター交響曲だよ。素晴らしいじゃないか」
 しかしロビンは退屈そうにあくびをし、やがて眠ってしまった。小早川氏はゆったりと夢見心地にモーツァルトの音楽に聴き入っていた。
 しかしジュピター交響曲の終楽章に入ったとき、ロビンは耳はぴくんと動かし、鋭い目を油断なくぎょろつかせ始めた。ロビンにとり憑いた狼の魂が、この終楽章の「ド-レ-ファ-ミ」という音型に反応したのだ。これは狼の戦いの合図と同じだった! ロビンは演奏者たちのもとに猛然と駆けていった。そして壇上に登り、まず目についたチェロ奏者の喉笛を噛みちぎった。またもや繰り返される血の惨劇! ロビンはまず低音部の奏者たちを次々と襲った。しかし指揮者は毅然としてタクトを振り続けた。この指揮者は闘牛の国スペインの生まれであり、血を見ると興奮する性格であって、ロビンが楽員を血祭りにあげればあげるほどその指揮のボルテージは上がっていった。しかしそうは言っても楽員がどんどん減っていくのだから音量はどんどん少なくなっていった。
「おや? このフーガは繰り返されるたびに音が小さくなっているぞ。ハイドンの告別交響曲を真似た新趣向かな?」何も知らない小早川氏はのんきにそんなことを思った。
 やがてまったく音がしなくなり、ロビンが最後に残ったスペイン人指揮者の臓物をむさぼり食っていたとき、小早川氏は「ロビン! ロビン!」と何度も呼んだ。壇上の惨劇に肝をつぶした観客たちはすでにみな客席を去っていた。
 ロビンは天を仰いで「ワォー」と吠えた。そうやってまるで狼そっくりに何度も何度も吠えた。すると、ホールに野犬が数匹入ってきて壇上に登り、ロビンの吠え声に応じて同じように吠えた。犬はどんどん増えていった。飼い犬も相当数まじっている。指揮台に上がったロビンは、犬たちの声を統制し、彼らの吠え声は単なる雑音からある種のまとまりを見せ始めた。
「ほう、アンコールは現代音楽か」と小早川氏はつぶやき、音楽と聞こえなくもない犬たちの吠え声に聴き入った。
「今日はなんだか分からんが面白い一日だったな。面白くなったきっかけはあの狼の肉か……こんどわしも板さんに狼の寿司でも握ってもらおう。狼の寿司を看板にしたら、あの寿司屋はきっと繁盛するぞ」
 しかし小早川さんは知らなかった。寿司を握るはずの板さんの右手首がすでに食いちぎられ、警官とのいざこざの拍子に自分の浴衣のたもとに入り込んで、今もぼとぼと血をしたたらせていることを。


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執筆陣
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快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

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