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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
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No.99
2009/10/18 (Sun) 04:12:07

(すこし以前に書いたもの。当時はネットで知り合った人とリアルで会う事に非常な抵抗を感じる人がけっこういた。)


大学の教職の授業で、心理学系の教授が担当しているものがあるのだが、その教授の話が自分のものの考え方や感じ方と相容れないと感じることが多い。

その先生は中学校のスクール・カウンセラーもしていて、自分の中学校の女子生徒が三十代の男性と出会い系サイトで出会い、メールのやり取りを繰り返すうち「では実際に会おう」ということになり、友達が止めたが聞かないので、その先生のところに話を持ち込んできた。メールの内容を見ると、どぎつい性的描写が目立ち、「とにかく会うのはやめたほうが良い」と説得した。その女子中学生は「大人の男性に会ってみたい」という好奇心が非常に強く、説得にはかなりの労力を要した、とのこと。
ついこのあいだも長野の小学六年の女児が、ネットで知り合った三十一歳の男性に「ドライブに行こう」と誘われ、何日間か行方不明になったという事件がおきた。
こういう例が目立つため「ネットでの出会いはデメリットが多い。現代人は顔を突き合わせての対話をせずに、文字だけの付き合いにのめりこむことも多いが、そうしたバーチャルの出会いはあくまでバーチャルのままで終わらせるべきだ。なぜ実際に会いたいと思うのか理解できない」とその先生は言う。これは教職の授業だから、主に中学校・高校の年端も行かない生徒について語ったのかも知れない。

しかし、文字による交流が顔を突き合わせての対話に劣るという考えは、一概には正しいと思わない。

自分は書物に書かれた文章を読んで感動する心を持っている。「文は人なり」という言葉もある程度信じていて、立派な文章を書く人は立派な人間であろうと思う。こういう考えは、文字が発明されて以来、たえず人間の心に去来してきたはずだ。中国の古い時代などではとくに、立派な詩や文章を書くということが教養あるものの必須の条件であり、その時代の文人の書いたものを読むと、一語一句にいかに刻苦精励していたかが分かる。「文は人なり」という風潮が非常に強かったから、小は職を得るため大は皇帝に諫言の上表をするため「立派な文」を作らんと命懸けだったし、単に自己の思いをつづる文章も後世に残るものにしようと身を削る思いだった。「言、人を驚かさずんば死すともやまず」というのは杜甫の言葉で、そういう気持ちで作られた彼の詩は、今日に至るまで我々の心を揺さぶり、自分も立派な詩文を作りたいものだと多くの人々を感化してきたのである(実際に杜甫に会ったからといって、我々はこのような感動を得られるだろうか?)。

文を重んずる思いは、読書という行為によって古代から連綿と引き継がれ、汗牛充棟の名著とともに、ずっしりと重みのある伝統を形づくって今に至っている。今日でも読書を好む人は、古い時代の書物を読まずとも、知らず識らずその伝統の余波に接し古人の余徳を享けて、自分も何ほどか良い文章を物したいという意思を心に宿すのである。その意思にも深浅あって、もちろん粗雑イイカゲンな文を書く者もいて自分もそうでないとは言わないが、こうした背景を考えれば発表の場がPCのディスプレイになったからといって、文章で意見を交換することそのものを軽んじる物の言いようをするのは無神経の極みではあるまいか。「文字だけのコミュニケーションはバーチャル」などと、悠久の歴史を有し我々がその伝統に大きな信頼を置くところの「文字」を、「バーチャル」のような浮薄なカタカナ語と並べて貶めんとする輩は、おのれを育んだ文化に唾する慢心外道であって、その口は必ずや災いを呼び身を滅ぼすであろう。

などと大時代な口調で反論したくなるのです、「バーチャル」なんて言われると……。
つけ加えるに、文字に宿るとされる「言霊」は、たとえネット回線を通してでも人を動かす力を持っているのであり、その力は決して「仮想現実」ではない……そう思っている。

しかしネットで知り合った人間と実際に会って、災難に会うという危険はやはりあるのだろう。
ただ、良い書物に出会って心底感動し、それを書いた人物に会ってみたいと思う感情は昔から自然にあったに違いなく、その文章が書物からPCのディスプレイに移ったからといって「会ってみたい感情」そのものが、突如として全否定されるのはやっぱり合点がいかない。

なかにはキチガイもいるに違いない。しかし「ネットで知り合って、リアルでも会おうなどと思う人間は皆キチガイに違いない」とまで考えるのは行き過ぎではないか。「文は人なり」という立場に立つ人間同士が、互いの文を見て本当の知己に出会った思いがし、実際に会ってみたいと感じるのは、実に自然な感情だと思うのだが。

(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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