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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/03/29 (Fri) 14:10:58

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No.300
2010/05/16 (Sun) 14:22:31

そのころ毎日深夜まで残業が続いていた。その会社でコンピュータ・プログラマとして働き始めてから間もなく、激務と人間関係の疲れのために私は心の病を抱えるようになった。心療内科に通院し、処方された抗鬱剤を飲んで、私はなんとか毎日をやり過ごすようになった。しかしその数日の疲労困憊とそれによる抑鬱状態は、薬をもってしても回復できないものになりつつあった。

木曜日の朝。今日明日を切り抜ければ休日が来る。そう思ってなんとかいつもどおりの時刻に家を出た。雨がしとしと降っている。嫌な朝だ。磨り減った靴の底から雨水がしみてくる。駅のホームには、天気と同じように沈んだ面持ちのサラリーマンたちが列を作っていた。灰色に濡れたホームに、いちように黒い傘を持って電車を待つ、虚ろな目をした男たち。自分も恐らく同じような目をしていただろう。まだ早朝で、さほど多くない乗客の列に私は並んだ。
鉄色のコートを着た初老の男が列から離れてホームの端に立ち、咳をしていた。私が何となくその男を見ていると、突然シューッという大きな音がして、男の頭部が青白い炎に包まれ、体中がその青い炎で燃え出したかと思うと、ぐずぐずと男の体は崩れて黒い燃えかすだけがホームに残った。その光景を見ていた乗客たちは、何が起こったのか即座にはわかりかねて、軽い驚きの声を上げるだけだった。間もなく駅員がそれに気付いたのか、警笛を吹いて駆け寄り、あわてて駅構内の電話でどこかと連絡を取っていた。そこに電車が入ってきた。私は事件のことが気にならないでもなかったが、すぐに興味を失い電車に乗った。別にこれで仕事が休みになるわけじゃない。他の乗客の表情からも、同じような感情が読み取れたように思った。

私はひどく疲れ、仕事がほとんど手につかなかった。職場が忙しい時期で、休める場合ではないと知ってはいたが、思い切って次の日会社を休んだ。私はもう限界だった。そしてもう辞職しようと思うようになり、医師に診断書を出してもらって数日休み続けた。とくに体のどこが悪いわけでもない。ただ頭の中の回路が焼ききれたように仕事をする気力がまったく失せてしまったのだ。
そのころ仕事の終わりが早いと、よく駅の近くのCDショップに寄り、ジャズのアルバムを買ったものだった。酒を飲みながら夜それを聴くのが唯一の楽しみだった。それを思い出し、気晴らしにCDショップに行ってみることにした。電車で一駅のところに大きな店がある。その日は晴れていた。仕事を休んで遊ぶことに決めると気分が軽くなった。そういう気持ちもあってか、電車の車内で前に立っていた老婆に気分よく席を譲った。老婆は礼をいい、穏やかな顔をして座ろうとしたそのとき、また例の事件が起こった。老婆が青白い炎に突然包まれ、シューッという音とともに燃え尽きてしまったのである。異臭を放つ煙をまともに吸い込み、私は咳き込んだ。私は老婆の燃えかすを前にして思った。比較的気分が良かったとはいえ、やはり自分は疲れており、目の前でこうしたことが起こって警察や何かに取調べを受ける気にはとうていなれない。だから騒ぎが大きくなる前に次の停車駅でさっさと降り、人ごみの中にまぎれていった。

私は、つくづく会社員というものが嫌になっていた。上司との人間関係がいったん崩れると、会社という場所は地獄だった。たまたま大学時代の友人が高校で非常勤講師をしており、彼と飲みに行く機会があったのだが、彼の職場の話を聴くとそこはまるで天国のように思えた。その職場には小うるさい「上司」がいないらしいのである。それで私も教師になることに決めた。動機は不純だが、もう一度大学に通い、教員免許を取ることにした。

教員免許取得に際し、最大の山場は教育実習である。私はそれを思うと気分が重かった。自分はしつけの行き届いた私立の学校で講師をやるつもりだったのだが、教育実習では荒れた公立の母校に行かなければならなかった。行ってみると、たとえベテランの教師が授業している場合でも、生徒は勝手に立ち歩き、騒ぎ、授業の妨害をしていた。自分が教壇に立ってみると、さらに狂騒状態がひどくなるのがわかった。実習生に似合わしからぬ年かさの自分が気に入らなかったのか、悪童たちは容赦ない罵声を浴びせかけてきた。死ね、おっさん。死ね、カス。死ね、死ね、死ね。ある日の授業で、騒ぎは最高潮に達した。生徒たちは私の話をまったく聞かず、中学生のくせに全員が紙飛行機を飛ばしあい、教室を駆け回った。私はどうにでもなれと思った。好きにしろ。どうせあと一週間で貴様らとは縁が切れる。私は彼らをしばしぼんやり眺め、勝手に一人で授業を進めようと思った。そのときである。騒いでいた生徒の中の二人が、またしても体から青い炎を発し、シュ、シューッという音とともに派手にメラメラと燃え出したのである。生徒たちはそれを見ると急にシーンと静まり返った。めいめいが茫然自失の表情を浮かべている。ああ、いい気味だ。やっと教室が静かになった。私はほかの先生にこのことは報告しないことにして、授業を再開した。嘘のように静かになった教室で、私のチョークの音だけがカツカツと鳴り響いた。あんな悪童どもの一人や二人、死んだところでどうということはない。彼らだって私に死ねと言っていたではないか。

そういう訳で無事に教員免許を取得した私は、いま私立の学校で講師をしている。ときおり気に食わない生徒が目の前で炎を出して焼け死ぬが、それ以外は平凡で平穏な日常が続き今日に至っている。


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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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