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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2025/04/02 (Wed) 09:24:54

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No.520
2011/12/19 (Mon) 18:59:29

 先週、年の瀬の週末に、離れ離れに暮らす弟、妹たちと20年以上も前に亡くなった父親の墓参りに行った。
 埼玉の郊外だが、空はやはり抜けるような蒼い空だった。
 
 手分けをして、水を汲み墓石を垢をこすり線香に火を灯す。
 一連の作業を兄弟で行うのはもう、何年振りか?と思いつつ、伸びた植木の剪定を行いながら弟、妹たちが幼かった時代を脳裏に描く。

 公園墓地のため、各所に噴水や彫刻があり、行きは噴水、帰りには彫刻の前で妹が持ってきたデジカメ記念撮影。彫刻のタイトルは「不惑」とあった。帰りのバスで死んだ親父の思い出話をしながら互いの近況と暮らす土地の習慣の違い、風土の様子を語りながらJRの駅まで乗った。
 親父の墓参をする時は墓前に焼酎かあるいは日本酒を備え、参った後に皆が飲み回し、大概妹が最後に飲み干す。

 勢いを駆って、駅の裏側にある昭和の頃からあるような暖簾の居酒屋に入る。
 弟が最近、再発見したというその店は、かつて幼き頃親父に連れてこられて来た記憶があったそうな。
 ハムカツ、厚揚げそしてきんぴら・・・瓶ビール2本頼んで席に着く。
 出てきたきんぴらを観て、その太さが前述(影丸ときんぴらと浅草の項)のあの牛蒡の太さに良く似ていることに驚く。鉛筆大のその太さで切られたそのきんぴらは、親父の造ってくれたそれよりも辛くはなかったが旨かった。

 幼かった弟たちを幼稚園まで送り迎えをしたこと、天気の良い日は50ccのバイクの後ろに乗せて連れていったこと・・・、深夜まで働いていた母親は当時からいつも機嫌が悪く、何かにつけて悪態をついていたとか。
 齢、80になろうかという母親は「この夏は越せそうもない・・」と人騒がせなことを云いながら数十年も生きている。
 人生とは皮肉の連続で、兄弟皆から好かれた父親が亡くなって20年以上の時が経つ。 憎まれっ子、世になんとかとはまさにそのことだ。

 仕事があるからと弟は先に出て、妹と更にコップを交わす。上機嫌もいいところだ。小腹が空いて二人で駅の立ち食いでかき揚げ蕎麦をすする。
 妹は数日の滞在で、クリスマスには家族が待つLAに帰らなければならない。

 酔った勢いもあり、握手と抱擁に力が入りやや涙線も緩む。
 「そんじゃ、達者で暮らせよ、あいつにもな」

 あいつとは、昨年の夏に初めて来日した甥っ子のことだ。
 こういうとき、人生は素敵だが残酷だ。

 あと、何度こういう場面を迎えるのだろう?分かれて逢えなくしまった人々の顔が心の何処かに去来する。別にこれで妹と生き別れになる訳じゃない。
 最近になって思うのだが、人生は変化の連続だ。いや、変化こそ人生最大の意味なのかもしれない・・・。希望と失望の連続、繰り返しだ。だが、変わって欲しくないモノや相手もあるし、自分の気持ちもある。
 数年後にまた再開が叶ったとき、幼き妹、弟たちの姿を脳裏に描きながら、またきんぴらをつまみに一杯飲れるだろうか?とも思う。

 東京の紅葉は12月が相応しい。
 世間に名所と言われている山々は数あれど、それはその楽しみだ。普段、何げなく通勤や仕事で通る歩道や庭先、公園の片隅に東京ではなかなか興味深い紅葉を観ることができる。
 この時期の銀杏など特にそうだ。

              

 午前の陽光を浴びて、黄色くというより白っぽくさえ見える銀杏の葉を歩道で観たかと思うと、午後の3時近くの都心の谷間で残照に映える銀杏は黄金色でさえ見えてしまう。
 画像は、たまたま通りかかった、麹町から赤坂へ抜ける途中の大久保公哀悼碑の傍らで撮った。付近には大きく太い木の中に、また大きな石の哀悼碑が建っている。見上げれば、ニューオータニだ。
 こんな場所が此処にあるなんて知らなかったし、大久保利通がこの場所で暗殺されたなんて知らなかった。黄金色の葉はハラハラと光の中を舞い泳ぎ、いくつもいくつも優雅に残照を浴びて地面に堕ち、優雅な黄色い絨緞を人々の目に焼き付け、やがて土に還っていく。

 今週は暮れの浅草や浅草橋、問屋街を何度か歩く機会に恵まれた。つくばエクスプレスが通り、スカイツリー需要で整備された国際通りには古くからのレコード屋もある。
 何気にウインドを覗くと色の褪せたBeatles のLet It beのポスターが貼ってあり、数年前に出たアンソロジーかBBCライヴの宣伝ポスターなのだろう「伝説の余白を埋める最新盤登場!」などと、ビートルズの若い頃の写真のポスターが貼ってある。

 浅草から江戸通りを日本橋方向に進んでいくと、蔵前から浅草橋界隈の玩具問屋の多いあたりに出る。そもそもこの辺りは、江戸城と浅草の区間に配した業種ごとの問屋が多く軒を連ねていた。簪や小間物、和装雑貨のような物を扱う問屋が、今の横山町、馬喰町あたりに多く玩具や革小物などが多かったのが蔵前から浅草寄りで浅草橋は季節飾りの店などが多かった。

 昔、アパレルの現金問屋で働いていた頃は、クリスマスが終わると仕事納めの支度をし、正月飾りを買いに行くのが年の瀬の行事だった。
 大掃除だの粗大ごみの詰め込みだの蛍光灯拭きなどが終わってから、壱萬円くらいの予算を預かってしめ縄や凧や門松を買いに行ってウインドに飾り、来る年も今年よりもより多くの客や売上、利益をもたらしてくれるようにと願い、納会をし、年を越す。帰りは薬研掘の縁日で自宅への土産を物色し、帰宅する。
 そんなのどか過ぎる年の瀬を20代前半の頃は毎年送っていた。

 数年ぶりに、かつて働いていた現金問屋街を通ってみる。
 大型店舗規制法の見直しによって、地方に大きなSCが莫大な駐車スペースを伴って随所に建てられるようになって以来、この街の在り様も変貌した。
 かつて戦前からあったような、長屋のような問屋の一角・・・クリスマスや正月飾りは此処でしたものだったが・・・そんな面影はなくマンションになっている。

 地方から仕入れに出てきた商店街のショップの経営者は、現金取引を前提に売れ筋、流行りのアイテムを仕入れていく。段ボール数ケースになる場合もあれば、茶色い紙の包装紙でバッグ一つ分のような場合もあるが、お届けと言って荷物の集積所、お気に入りの問屋を皆作っていて「●×に持っていって」とか「なんとか商事に届けておいて」などと言われ、大福帳みたいな帳面と包みを持って「●△ですが新潟の◎△堂さんのお荷物お届けにあがりました」などと言って荷物を差し出して、大福帳にサインをしてもらう。これを「お届け」云った。

 帰りは立ち食いそばでおやつにするか、立ち読みでサボった思い出がある。
 そんな届け物をした問屋たちは皆、ファミレスやファストフードかコンビニになっている。20年も前はこんなに食べ物やもなかったのに・・・と思いながら自分が居た問屋の店先を訪ねた。
 数年ぶりに見る顔、中には数十年ぶりに顔を観る奴もいる。「お、暫くだな。聞いた声がすると思ったら・・・」などと声をかけられ「そっちこそ、すっかり爺いだな。元気そうだな」と返すと「いや、そうでもない。先月脳腫瘍で手術したばかりだ、大変だったんだぜ・・」「ふうん、悪い脳みそと一緒に悪い根性も摘出して貰えりゃもっと良かったのにな!」「相変わらず、口が悪いな」などと持ち前の毒舌の応酬を披露し、かつて数軒あった営業拠点も今はそこ1か所だけになり人員も減り大幅に縮小されてしまった。

 「あの頃と今じゃ、この仕事に就いてる歓びも感動も違う、データや在庫の事ばかり気にして『頑張ろう!日本!!』などと紙に書いて貼ったところで景気が良くなる訳じゃない。画面やデータや管理されることにしか存在意義を持たないからやっていても面白くはないだろう?」などと無情な問いかけをしたら、かつての後輩は「為になります・・」と言いながら口をつぐんでしまった。ひとしきり、昔話をして「また来るから・・」と外に出た。

 伝説の余白はビートルズならCDで埋まるのかも知らないが、残照の記憶の隙間は誰も埋めてくれない。

 実家にはコロンビアの真空管式の大きな家具調ステレオがあった。
 幼き頃は「コーヒー・ルンバ」だの「ワシントン広場の夜はふけて」などを聞かされたが、中学に入りビートルズ観賞の必需品ともなった。
 やがて、妹のピアノを置くスペースがないとの理由から捨てられてしまった。

 今では、ガムくらいのMP3で好きな音楽もビートルズも聴けるが、昔はLPのジャケットからスリーブ袋ごと出して、親指と中指を巧みに使ってターンテーブルに載せる・・・音楽一つ聴くにしても儀式めいたプロセスが必要だった。
 
 黒地に4つの顔写真が配されたLET IT BEでも聴いてみよう。

             

 記憶を埋めきることはできずとも、回顧の糧とはなるだろうから・・・・。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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