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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/23 (Tue) 16:13:44

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No.512
2011/11/21 (Mon) 20:25:19

             

 一昨日だったと思うが「マクラーレン・ホンダ復活か!?」の報に、古くからのF1ファン、モータースポーツ・ファン、HONDA・ファンは胸をときめかせた方もおいでだろう。

 かく言う、小生もその一人だが。
 mixiのコミュにも色々と復活再起を望む声も多い。

 無性に読みたくなったのが故海老沢泰久氏著の「F1地上の夢」だ。

 文庫本でも今はあるらしいけど、往年のウィリアムズの乗ったネルソン・ピケが表紙のハードカバーがたまらなく読みたい。
 確か、引越しの時に行方知らずになったままだ。
 先日、業平へ出かけた折にホンダ・ミュージアムが出しているのか、懐かしのRAシリーズからスピリット、ウィリアムズ、ロータス・・・と、A1の大きさで歴代のF1勢揃いのポスターを見かけ嬉しくなったが。


 町工場の親父に過ぎなかった本田宗一郎は、その先見性と独自性で一貫した経営センス・・・モノづくり、人づくりで生涯を貫いた。
 戦後の経営者、松下幸之助を筆頭に至誠一貫で商いに徹し社会に貢献してきたような人々が昭和には多い。
 時代が戦後復興から高度成長期へ向かい追い風と言うのもあったかもしれないし、今のように環境エネルギー、自然破壊、放射能とマイナス要因ばかりでなかったことも幸いしたとは思う。

 件の「F1 地上の夢」では60年代の初頭に当時ロータスの総帥コーリン・チャップマンからエンジン供給の依頼を受けていてさあ、これから実戦だという時に一方的にフォードのエンジンを載せることになったからキャンセル!と断られてしまう。ならば、シャシーもエンジンも全部ウチで造ろうじゃないか!とやり始めたのがHONDA・F1の系譜となる。
 この辺を読んだあたりでは二十数年前と言えど、脱帽し血沸き肉躍るような逞しさを感じたものだ。

 そして60年代の後半に入り、CVCCエンジンの開発に人手も金もかかってしまうことから所期の目的・・・タイトルは取れないまでもある程度は達成したとして最初の黄金期は終わり、80年代の半ばになってスピリットからウィリアムズ、ロータス・・・そしてマクラーレンでセナやプロストを擁した輝ける前人未到へと登り詰めていく。

 一般車へ目を向ければ今でこそ、カーナビだパワステだ、パワーウインドだというのは当たり前になっていて、だからこそ乳児を乗せた若い母親でも車で出かけられる社会になった。
 キャブレターだのプラグだの混合比だのというのは今は全部電子制御だし、その先鞭をつけたのはCVCCであったことには違いない。
 エア・バッグなども今じゃ一般装備だが80年代に国産で装備していたのは、プレリュードかレジェンドくらいだった。先進のメルセデスには装備されていたが。

             


 こうした先人たちのスピリッツや粉骨砕身の辛苦があって、今の便利も成り立っている。「不自由を常と思えば不足なし」の徳川家康ではないが技術者たちはそこに改善を見出し世に遺していった。
 これは建設も製造もそして流通もあらゆる産業のパイオニアたちが60年代から70年代後半に多く傑出し偉業を成している。
 残念ながら時流に合わず、没落や終焉もあったが。
 
 共通しているのは三現主義などと言われる現場主義だ。
高度情報化社会と言われて久しくブロードバンドだ形態だ、スマホだと、先日のある経済番組ではまるでスマホのエンジニアでなければ人にあらずくらいの調子で紹介している。
 若い技術者たちに限らず少なからず現実、現場と言うのを我が目、我が手で確認する作業を怠っていってしまう懸念を感じるのは小生だけだろうか?

 あまりにも、利便性、機能性ばかりが進み過ぎてモノを直しても使うとか、大事にするとか抜けていないだろうか?
 あまりにも売れるモノ、話題を呼ぶものばかりに目を奪われて製作者の意図や考えなど蚊帳の外ではないか?

 と警鐘を鳴らしたくなってしまう。

 映画についてもなぜこの時代の名作「栄光のルマン」や「グランプリ」をもっと多くの若い大衆に見せようとはせずに、CGで作った薄っぺらな大衆SFやテキトー・スペクタクルなんぞを次から次へと出すのだろう?
 「グランプリ」などはかの三船敏郎が本田宗一郎に扮した巨匠J・フランケンハイマーの名作なのに。「栄光のルマン」に至ってはこれ以上のカーレース映画は撮れないだろうとばかりに、マックイーンが挑んだ偉業のレベルには格段の撮影技術の進歩進捗があったというのに、そこに至ってはいないし、我々より10歳も若いと「栄光のルマン、なんですか?それ・・・」くらいにしか知られていないのが現実だ。

 若者偏重の文化、サブカルチャーがそうさせるのだろう。

             


 昨今の大王製紙やオリンパスにしても、日本を代表する企業でありながら実態ではこんなことをしてましたで済むのだろうか?
 オリンパスには黒塗りのロータスにJPSと並んでゴールドのロゴを入れ「日本企業の此処にあり」を見せてくれたのに・・・。

 バブルがいけなかったとか平成になってからそうだとか、ゆとり世代がどうの・・・と云うつもりはない。が、小生の身の周りも含めてだがどうしてこんな愚かな経営者や首脳陣が後を絶たないのだろう。

 「親の七光り」であまりにも単調で退屈な道を歩んでしまうからだろうか?
 あるいは親とは違うところで名を成して世間に知らしめてという野望が失敗するのだろうか?だが、「私で何代続く老舗でございます」なんてたまに見かけるし、事業家や商売人の子育てすべてが失敗するわけでも跡取り全員が間抜けなわけでもない。
 要は、「この仕事を通じて自分を高め世間に奉仕する」という固くて崇高な意思があればよいのではないか?

 だが、タレントや芸人たちが寄り集まって下らないダジャレに一喜一憂し、スイーツなんぞをいい大人が深夜に品評会をやって視聴率云々などと言うくらいでは先も知れている。

 マクラーレン・ホンダの復活は大いに興味があるところだが、技術陣は確かに80年代の末期でレギュレーションをかのFIAあたりに変更させられ、あの当時のノウハウ、遺産があればターボになってもかなりのアドバンテージはあるかもしれない。しかしながら、震災の影響に加え、タイの洪水、世界的な経済不安定・・・これらは盤石の態勢を作るのに足枷とはならぬのだろうか?

 F1は世界経済のショーウインドウともいわれたが今でもそうだろうか?

 夢よ、もう一度とは言わないし、思わない・・・

 だが、地上の夢をもう一度、探し出して読んでみたい。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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